「私が幼い頃の清輝橋界隈は、肉屋や荒物屋、呉服店などが並んで本当に賑やかでした。旭川の岸には魚市場もあったんですよ」と懐かしげに語る西村勝文さん。昨年3月、清輝橋商店街横に完成した賃貸マンション「シュトラール医大東」のオーナーであり、西村家を率いる当主でもある。そんな勝文さんに生まれ育ったこの地への思い、家業について話をうかがった。
「信じられないでしょうが、かつて清輝橋はいわゆるターミナルでこの先は田んぼだったんです(笑)。ここから南は所々に村落が点在していました。今、『スプレンドーレ』が建つ場所にわが家がありましたが、座敷からは常山の桜が帯のように白く見えました」。
西村家が代々暮らす鹿田町・岡町エリアには、平安時代から中世にかけて「鹿田庄」があり、岡山大学病院の地下には今も鹿田遺跡が眠っている。そうした歴史ある街で不動産賃貸事業を営む西村家。「『シュトラール医大東』を建てるきっかけは秦社長からのお声掛けです。現地は交通の便もいいし、何より幼い頃から愛着のある街、ご近所さんも好意的でした。もちろん最初は悩みましたが最終的には『やってもいいかな』と(笑)。どの道、結果が出るのは5年、10年先の話ですから…」とにこやかに答える勝文さん。
そんな勝文さんの言葉に秦社長はこう答える。「西村家との出会いは、先代の鹿三郎さんの代にさかのぼります。その頃はせっせと米作りに精を出しておられました。今、コンビニエンスストアがあるあの辺りには苗代があったんです。その苗代田の一部を埋めて『スプレンドーレ』を建てる際には、鹿三郎さんに『ここから先に入ってはならん』とお叱りを受けたこともあります。それだけ米作りに誇りと愛着を持たれていたんですね」と今は亡き先代に思いを馳せる。
そうした米作りへの思いは、跡を継ぐ勝文さんと奥さまにしっかりと受け継がれている。
「稲が育つのを見るのが楽しみなんです。確かに田んぼへ行き来すると時間はかかりますが稲が小さい時はやはり気になりますね」と目を細める勝文さん。
米作りと不動産賃貸事業の両立。時代の流れとともに西村家の「稼業」は変遷してきた。それでも秦社長はあえてこう考える。「米作りも不動産賃貸事業も実は同じ。田んぼを耕して稲を植える。しっかりと考えてマンションを建てる。あとは自然の力が稲を育てる。不動産賃貸事業もきちんと仕掛けを作って努めればスクスクと育っていくものです。大切なのは自分を信じ、まわりを信じて明るく努力する。持ち運がいいとはそういうことなんです」。
親から子へ、子から孫へ。西村家の未来への仕掛けはまさに盤石。米作りの繁忙期には息子さんが仕事の合間を縫って手伝いに来てくれるそう。そう話す2人の表情は心から満ちたりた笑顔だった。
取材後の撮影。思うところあって今回のメイン写真はマンションではなく、あえて田んぼの側にした。たとえ時代は変わろうとも、米作りは西村家の原点。額に汗して働く姿こそが親から受け継いだ一番の財産。そんな思いから…。
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